野球審判において「緊張と緩和を感じること」
「緊張と緩和」とは、お笑いや会話術の中で用いられるテクニックです。
緊張=聞きたいという状況、緩和=話を聞いて納得する状態を繰り返すことで、相手をひきつける会話や笑いが生まれるというものです。
しかし、これは何もお笑いだけのものではありませんね。映画やテレビドラマで、ヒットするものの大きな要因は、いかに緊張と緩和を見ている人が堪能したかではないでしょうか。また、筋書きのないドラマといわれるスポーツもそうです。素晴らしい試合だったと感じるものは、「手に汗握る」と表現される緊張とその結果があるからだと思います。
こと野球審判では、どうでしょう。
誰もが納得するジャッジは、第一に「正確」であることは言うまでもありませんが、同じジャッジをしてもAさんとBさんでは、周りに与える印象が違うことをお感じになられたことはありませんか。
それは、キャリヤや経験だけではない何かが、周囲の人に伝わるのだと私は思っています。つまり、なんでもない投球判定一つにしても、「何かが違う」と感じさせる人は、緊張と緩和がうまく融合しているからだと・・・
逆に、見ていてつまらなかったり、不安になったりするような人のジャッジは、緊張ばかりで十分な緩和が与えられない場合が多いのです。
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たとえば、走者1塁、ライト方向への飛球が捕球され、リードしていた1塁走者の帰塁と送球が際どいタイミングだった時、周りの人は、「アウトかセーフか」という極度の緊張状態にあります。その時に、誰もジャッジしなかった場合は、全く緩和はありません。
また、2塁審判や球審が遠くからジャッジしても十分な緩和は与えられないと思います。
この場合、2塁審判、あるいは球審のいずれかが、最大限プレイに近づくこと、そして誰もが待ち受けたタイミングでコールされることが、最大の緩和ではないでしょうか。
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数百回繰り返される投球判定でも同じです。球審が構えてからコールするまでにどれだけの緊張と緩和が自分の中で、感じられているかが必要だと思います。
それは、決して、声の大小ではありません。自分がどこで緊張し、緩和したかを知らせることがジャッジだと思うのです。投手が投げたという緊張状態からストライク(ボール)と判断した緩和をコールする。
動きやジェスチャーに切れがあるといわれる人もまた、この緊張と緩和が繰り返されているように思います。
スタート、加速、減速、停止。ジェスチャーの始動から終わりまで。
自分の中で、感じる緊張と緩和がなければだらしなく見えたり、全く動いていないように受け止められたりするのではないかと・・・
相手をひきつけ納得させる、ということが会話だけではなく、野球審判にも大切なことだとすれば、緊張と緩和を感じることが不可欠であることもまた、ご理解いただけるものと思います。
緊張は、一般的に言われる精神の膠着状態を言うのではありません。緩和も同じく、単に気を緩ませることではありません。
ドイツの哲学者イマヌエル・カントは「笑いは、緊張の緩和からくる。」と言ったといわれていますが、私は「ジャッジは、緊張と緩和を感じること」と言っておきます。(爆)
実に、どうでもいいことですが・・・(^^;
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