「一人称(いちにんしょう)」・・・自称ともいわれ、「私」あるいは自身を含める「私たち」をいう。
何をするにもこの一人称での視点、つまり「私は」、「私だったら」というものが大切だと思います。
とりわけ、審判(判定)においては、絶対的なものだと感じています。
宣告は、「He is out.」と三人称で表現されますが、判定は「一人称」による判断です。
ですから、とても重みがあるのだと考えます。
「私」という一人称によって下された正確な判断の積み重ねが、周囲の信頼につながるものであり、周囲に認められるために、周囲の視点でものを考えることではないと思います。
非常に抽象的なブログで恐縮です。
私は、「私は」あるいは「私だったら」ということを基本にものを考え、表現していくことを常に意識したいと思います。
4 件のコメント:
審判に関して言えば、自分自身がやったこと以外は、何の助けにもなりません。
自分で経験したことしか、自身では出来ないのですからね。
他人がどうのっていうのは、まったく自分自身を抜かしてる、無責任なことです。
自分だったらというのは最低限のマナーだと思いますね。
そのとおりだと思います。
他人の判定を尊重することは、あわせて自分の判定にも重みを感じることだと思います。
「私」が下した判定も「彼」が下した判定もどちらも尊重されるべき大切なものであると。
特定できる他人のミスを公表して、自分が偉くなった気でいる人がいるようですが、それはネチケット違反でもありますね。
それに気がつかない方は、最初からネチケットを語る資格はありませんね。
呆れてものが言えません。
仲間も知らん顔をしてるのは、どういうわけでしょうか?
そんなのは仲間とは言いませんね。
親方(爆)の言いなりか?
情けないですね。
真の意味の仲間を作るって生易しいことではないです・・・
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